テレビでやっていたので久しぶりに見てみたのだが、近未来を描いた映画のひとつなので、未来世界の描写を検証してみたい。
・警官の主人公がパトカーを運転中にロボットに襲われたことを上司に説明しても信じてくれないシーンがあるのだが、2014年現在で多くのパトカーにはドライブレコーダーが積まれており、ドバイ警察はGoogle Glassの導入を始めており、NYPDも検証中だ。録画がされていない理由を説明するか、あるいは記録が改ざんされた事実を示さない限り、視聴者は違和感を感じてしまう。
・人間を襲った疑いのあるロボットが警察で事情徴収をされていると、開発会社の社長がやってきて、「ロボットは物だから人を傷つけるはずがない。だから罪にも問われない」と言ってロボットを持ち帰ってしまうのだが、これは明らかにおかしい。ロボットを物と見なすなら、そのロボットが事故を起こした場合、責任をとるべきなのはメーカーだ。自動車メーカーは不具合の可能性があるというだけで自社製品をリコールするし、まんがいち事故でも起きたら大変な罪に問われることになるのは周知の事実だ。
・プロット上の都合なのはわかるが、具合の悪くなったロボットを処分するために、いちいち電子頭脳にナノロボットを注入しなければならないという理屈もわけがわからなかった。不具合の原因は分かってないわけだし、ナノロボットにも不具合があったらどうするのか。高電圧で回路を焼き切ったり、燃やしたりするほうが遙かに確実だろう。
・あと、この作品に限ったことではないのだが、なぜSF映画に出てくる女性科学者は論理よりも感情を優先させることが多いのだろう。ロボット3原則に従わないロボットがいると主張する主人公に対して、女性科学者は事実関係を調べようともせず「ロボットに個人的な恨みでもあるの?」と感情論にすり替えてしまう。これって立派な性差別表現なのでは?
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